ようこそいらっしゃいませ。趣味でYoutubeをやっており、世界名作劇場やミニ四駆、ガンダムなどのアニメ作品などと幅広いものを取り扱っているつもりになっている投稿者です。ここでは主にYoutubeの宣伝と投稿者の趣味全開の雑記、駄文を展開していきます。どうぞ、お手柔らかに!

シャア・アズナブル(ガンダムシリーズ)【悪役図鑑】

私、シャア・アズナブルが粛清しようというのだよ、アムロ!

登場作品:機動戦士ガンダムシリーズ
分類:ライバル
職業:軍人
立ち位置:作品によって立ち位置が変わる
悪人度:B
カッコよさ:A
強敵度:B
存在感:A
作品貢献度:S
演:池田秀一

シャアという男…あまりカッコよくない!?

長く続くガンダムシリーズだが、未だにこの人に影響を受けたような『仮面キャラ』が量産されている事から、後世に多大な影響を与えた人物である事は間違いないだろう。

赤いモビルスーツを駆り、類まれなる才能を武器に戦場を華麗に戦う姿はライバルキャラとしてのインパクトを視聴者に与えた。さらに「シャアの乗る機体は通常の三倍の速度」であるという言葉にする事で視聴者にわかりやすくシャアの強さを知らしめる演出。そして「赤い彗星」という通り名までつける事で短期間のうちに「なんかよく分からんがすごいやつだ」と思わせる演出は見事に成功しており、巨匠・富野由悠季の若くしての才覚(この時期から髪型に対しては不安があったが)がうかがえる。

・・・・・と、シャアのかっこいい部分を書いてはみたのだが、私は正直シャアのかっこいい部分が好きというわけではない。

はっきり言って、彼はかっこいいどころか色々と情けなくてダサい男だと思っている。今風に言えば残念なイケメンといったところだろうか。と、いうより色々と人間臭すぎるというか。

ガンダムシリーズは初期シリーズまではどうしても主人公アムロとライバルのシャアの対決もしくは邂逅というのが付き纏う構成にあったと思う。この二人が常に中心にあったわけではないが、間違いなく妙な腐れ縁が切れない関係にある事は無視出来ないだろう。
決着までに色々と遠回りしていく二人の関係だが、アムロは成長していくにつれて徐々に人間らしさをなくしていく───というかカッコよくなっていくのに対し、シャアは逆にメッキが剥がれていったのだ。

初代の時点で、当初から復讐のためにジオン軍に加入してザビ家滅亡を目指している事がわかる序盤のミステリアスさが左遷期間をおいて再登場してからは薄れていて、惚れた女を戦場で連れ回しながら微笑ましくエンジョイする姿が描かれている(無論、ザビ家を一網打尽にする野望が消えたわけではなく、この時もまだ腹黒さを抱えてはいるのだが)。

シャアが再登場するのはジャブロー戦だが、この時には既にアムロの力量がシャアを戦慄させるほどに仕上がっており、そこから更に成長を続けるアムロに対してシャアの実力はあからさまに置いてけぼりを食った印象を視聴者に与えた。こうしてシャアは富野由悠季作品によく登場する「主人公の強さにより転落していくライバル」の路線を歩む事になってしまうのだが、シャアの場合は上でも述べたように女性にうつつを抜かしているかのような描写があるので余計情けなく見えるというか…

ララァの言い放った「どいてください大佐!邪魔です!」はまるで男が女を守ろうと躍起になっているのに、実力は女の方が上でむしろ足手まといになっているように見えてしまう台詞だ。短い場面だが、私はその時シャアに対し哀愁のようなものを感じた。
そもそもアムロVSララァはシャアが乱入するまで完全に蚊帳の外という風に描かれているので、そこにジェラシー全開で乱入するシャアの姿は、完全にシャアのミステリアスな美形キャラっぷりを崩した瞬間と言える。

また、最終的にフェンシングでアムロと対決するシャアだが、元々メカオタクで引きこもりだったアムロにヘルメットと仮面がなければ即死だったほど追い詰められていた事が発覚
こうしてシャアをとことん情けなく描く事で、実は主人公に才能で及ばない普通の人間寄りの男が色々と背伸びしていたんだという事を視聴者に解らせたのだ。彼は決して完全無欠なタイプではなく、人間らしい弱さとカッコつけがある。そういった部分がシャアを嫌いになれない人、一種のかわいさを感じる人、親近感を抱く人など、様々な人の心を掴んだ要素なのは否定しようがないだろう。
私もどちらかというとシャアのこういったカッコよくない部分の方に惚れ込んだ方だ。

ザビ家への復讐を果たしたシャアは、続編の機動戦士Zガンダムにも登場する。と、いうかエンディングのクレジットでは一番上に書かれているほど目立っている

しかし、ここからのシャアはどちらかというと1st後期の続きだと言わんばかりに情けない部分が描かれる事が多い。勿論、只者ではないと思わせるようなシーンやカッコイイシーンもあるのだが、世間的に見てもネタにされがちな部分が多い事は否定できない。
いわゆる愛されキャラの座を勝ち取っていったというべきか。

名前を誤魔化し、歳下に殴られて涙を流したり、表向きには男女関係にあった女性に去られたり、昔の女に再会してだいぶ気まずくなったり。個人的にはハンバーガーショップの名前を聞かされても知らなかったシーンがカッコつけてファーストフード店とか入ってないんだろうな感があって好きだ。

逆襲のシャアの特にカッコ悪いシャア

さて、シャアのちょっと情けない部分について書いてみたが、1stからZガンダムまではやはり徐々にメッキが剥がれてからそういった部分が定着するまでを語る事になってしまった。

そうなってくると満を持して劇場版『逆襲のシャア』について語らなければなるまい。この作品こそシャアの最後の大舞台であり、再びアムロの敵となった事で決着がついた作品なのだ。
ネオ・ジオンの総帥として地球にアクシズ(ようは巨大な隕石と考えればOK)を落とし、地球環境を顧みない人々に罰を与えようと企むシャア。それを主人公アムロの所属するロンド・ベルが阻止しようという作品だ。
誰よりも地球の事、そして人類の未来を考えるシャアだからこそ断腸の思いで地球に巣食う者達を排除しようと考える。

まさにそれは悪役でありながら、自然と人類の未来を一番に考えるダークヒーローの所存!
憎みきれぬ敵役のカッコ良さ全開の思想と行動────と言いたいところだったのだが、実を言うと『逆襲のシャア』こそが最もシャアが情けなく見える、小さい男(シャアは私は小さい男かとナナイに訊ねたが、小さい男だよ)に見える作品だと私は考える。

作中においてシャアを取り巻く人々の中でこんな発言がある。
「大佐はあのアムロを見返したいが為に今度の作戦を思いついたのでしょう?」
「ララァをアムロにとられたから大佐はこの戦争を始めたんだぞ!」

そう、シャアは相変わらず総帥らしくしようとカッコつけてはいるのだが、周りからは言われたい放題なのだ。

また、シャアに惚れたクェスに惚れ込んだギュネイはシャアを貶してこんな発言でクェスの気を引こうとする。
「けど大佐は、総帥らしく見せるためにナナイなんかとも付きあってさぁ。ロリコンじゃないかって、ニュータイプ研究所の連中はみんな知ってるんだぜ?」
この場面は正直ギュネイも人の事を言えない(ギュネイが18歳でクェスが13歳なので)のだが、小説版においてはレズンの他ネオ・ジオンの一般兵ですらこういった共通認識があるそうだ。

これが基本的には視聴者にネタにされやすいのだがしかし、これはぶっちゃけ劇中のシャアを見ると事実に近いため、つい気付けばシャアをそんな目で見るようになっていってしまうのだ。
これこそが富野監督がシャアを媒介にかけてきた「富野マジック」といったところか。

アムロと対峙した際も、逆シャアにおいてのシャアはそれまでと違ってあまりカッコつけすぎずに本音で喋っている場合が多く、私としてはむしろ「今回のシャアはすごくぶっちゃけてる!」とつい注目してしまった。
特に最後の台詞である「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!そのララァを殺したお前に言えた事か!」は、1stから続けた視聴者からすればついにシャアが一番隠していた本音を放ったシーンである。一見意味がわからないとこも含め、考えさせられる場面だと私は思う。

結局、シャアはアムロを苦戦はさせたものの、あまりダメージを与えられずに負けてしまった印象が強い。
個人的にはもっと反撃して欲しかったが、あくまでシャアはアムロに敵わないという事。シャアにとってのアムロはあらゆる意味でずっとコンプレックスだったと考えると仕方がないのかなと思う。
きっと、シャアがサザビーから脱出ポッドで脱出したものの、アムロのνガンダムにその脱出ポッドが掴まれ、アクシズをそのまま押すシーンで妙にもの哀しくなったのは私だけじゃないと信じたい。

そんなわけで、シャアは決して完全無欠ではないダサい大人である。だが、私がそうであるようにファンはシャアがただカッコイイから好きになったわけではないと考えている。
むしろカッコイイと思ったら内面的にダメンズなギャップに惚れ込んだのではないだろうか?
強さ的にも決して最強ではないあたり、シャアはむしろコンプレックスがある方にはなんとも言えない魅力あるキャラクターに映るのではないかと思えてならないのだ。

さて、シャアについて熱く語ってみました。いかがだったでしょうか?
こんな紹介文を書いておいて今更こんな事書くのもなんですが、私はシャア・アズナブルが大好きです。

シャアと女性たち

おまけ的要素ではあるが、シャアと彼を取り巻く女性陣について書いておこうかなと思う。

まず、散々述べてきたようにシャアの本命はララァ・スンである。これは間違いないだろう。
後付けの外伝等を除くTVシリーズだけを追ってきた身からすると、ララァ以外には必死になっていない、つまり本気になっていないようにしか見えないのだ。

他にシャアが必死になった女性キャラクターというと、ある意味ではセイラ・マスだが、彼女はあくまでシャアの実妹である事から除外とする。
また、ある意味ではキシリア・ザビにも必死になった。しかしこれは復讐のため殺害しようと必死になったわけだからやはり除外しなくてはならない。まぁキシリアはああ見えて24歳であり、シャアとさほど歳も変わらないうえ、小さい頃遊んでもらったらしいのでキャラクターデザインさえ違えば恋愛対象になっていた可能性も否定出来ないが。

さて、1stにて完全にシャアがメロメロデレデレ状態だったララァだが、シャアをアムロの攻撃から庇って死亡してしまった。
その後、シャアは様々な女性の元を渡り歩く事になる。

Zガンダムではレコア、過去の女性としてハマーンが登場。逆シャアではナナイという女性がシャアの実質愛人のような形で活躍し、クェスもシャアに惚れ込んでネオ・ジオン側につく事になった。
つまり計4人の女性がシャアに興味を持ち、惚れ込んだ事になる。

しかし、私から見るとシャアは彼女らを本気にしていなかったというか、鬱陶しがっていたのではないかと思える。比較的ナナイがマシな方だろうが、これに関しては便利に使える部下だったからだろう。
ナナイがクェスに対しジェラシーを感じている事に関してはどうでもよかったのではないだろうか。つまり気付いてもいなかったのだろう。

ナナイが比較的マシなのは、おそらく大人の対応ができる女性だからだと感じる。他の3名はシャアに何かを求めたうえにすごく追ってくるタイプなのだ。
言ってしまえばシャアにとっては別にそこまで好きじゃない女がめちゃくちゃ付き纏ってくる状態である。ほっといても勝手に追ってくる女性はシャアにとっては眼中に無いのである。

おそらく、ララァだけはシャアにとっては「追わせてくれる女性」だったのではないかと思う。母性を求めていたシャアにとっては甘えさせてくれるうえに自分をいいように翻弄してくれる女性だったのだ。
他の4名がシャア以外の男に傾き、いわゆる寝盗られ状態になってもさほどシャアは気にしないだろう。しかし、ララァに関しては戦場でアムロとニュータイプ同士の感応を起こしただけで割って入っている。

シャア目線で比較してみると、
ララァ→余裕があり、自分を翻弄。自分が追う立場になる母性ある女性。
レコア→戦士でなく女として扱ってほしがる。危険を好む性格。自分に失望するまでは追ってきた。
ハマーン→大きな心の拠り所を求めてくる(シャアにとっては自分も心の拠り所が欲しい)。結果的にシャアが棄てたが、再会する事に。
ナナイ→基本的に自立しているが、シャアに依存はしている。
クェス→父性を猛烈に求めて自分の元に。ララァに代わる存在になると猛烈にアピール。

こんな感じである。シャアに追わせているのはララァだけである。

普通の恋愛においても、基本的に相手に追わせた方が勝ちである。それを考えるとシャアの執着のしようにも納得といったところだろうか。

ちなみに、シャアはよくロリコン扱いされるが、どちらかというと母性を求めている事からマザコンではないか?という意見も多々ある。
まぁつまりロリマザコンといってもいいだろう。そういった面をどう解釈するかは視聴者次第と言える。

あと、ある意味で一番意識しちゃってるのはやはりアムロな気もする。まぁこれは女性ではないし、変な方向に話がいきそうになるからやめておこう。

【シャア・アズナブルの名言集】※クワトロ時代含む

「認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを…」
↑部下の先走りにより結果的に二人の部下と2機のザクを失った時の台詞。単に自分のミスを悔やんでいるだけなのだが、視聴者に難解な言い回しをしている辺りにシャアというキャラクターのミステリアスさを感じさせる。
ちなみにこの台詞は元々脚本には無く富野監督が勝手に追加したものらしい。

「見せてもらおうか…連邦のモビルスーツの性能とやらを!」
↑シャアにとっては初のガンダムとの戦い。自信の程がうかがえる。何気に有名な台詞ではないだろうか。

「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差でないことを、教えてやる!!」
↑シャアのエースゆえの自負心がうかがえる台詞で、有名な台詞のひとつ。とはいえザクとガンダムの性能差はひっくり返しようがないわけだが…。
ちなみに逆襲のシャアにおいてはわざわざアムロにサイコフレームの技術を渡して同じ土俵にまで持ち込ませる事に。この時はアムロの方が性能の下回る機体に乗っていたので逆の立場だった。

「坊やだからさ」
↑ガルマを謀殺したため、ドズルから左遷されてしまったシャア。そんな彼が酒場でギレン・ザビの「諸君達が愛した我が弟、ガルマは死んだ。何故だ!」のガルマ追悼演説を聴いたときに受け答える形で呟いた台詞。有名な台詞であるが、ガンダム未視聴の方にはどんな場面で使ったか分かりにくそうな台詞でもある。

「冗談ではない!」
↑日常でも使えそうな台詞。わかる人が近くにいるとクスッとなるかも。

「ララァ! 奴との戯れ言はやめろ!!」
↑アムロとララァが互いのニュータイプ能力によって共鳴し、感応している際に割って入るように放った言葉。
ぶっちゃけジェラシー全開である。シャアは邪魔です!とか言われちゃってたしね…

「見えるぞ! 私にも敵が見える!」
↑自らのニュータイプ能力に感動するシャア。この時にはアムロとの力の差が開いており、逆転の可能性があるとしたら自分のニュータイプ能力の覚醒しかなかった。
…しかし、後年はニュータイプのなりそこないとか言われる事に。

「この感触…アムロ・レイ… ?ララァ・スンか?」
↑カミーユのニュータイプ能力を感じながら。残念ながらハズレである。

「今の私はクワトロ・バジーナ大尉だ。それ以上でもそれ以下でもない…」
↑正体を隠すシャアに真偽を問うハヤトに対しての答え。あくまで名乗る気のないシャアはこの台詞で返答するわけだが、ようは単に誤魔化しているにすぎない。
こんな誤魔化しでも一見カッコ良い台詞を言う辺り、彼が演じながら生きてきた背景もうなずける。

「これが若さか…」
↑上の台詞でクワトロがシャアであることをあくまで隠す態度に苛立ったカミーユから修正され、涙をきらめかせながら吹っ飛んだ時の台詞。
残念ながら劇場版ではこれらのやりとりが無く、殴られない。なぜ無くしたのだ。

「サボテンが、花をつけている…」
↑レコアがヤザンに撃破され、シャアがレコアの部屋を訪れていた時にカミーユにレコアをぞんざいに扱った事を非難され殴られた時に、レコアが育てていたサボテンの鉢を見て呟いた台詞。
一見意味不明でよくつっこまれる場面だが、ここでいうサボテンの花とはレコアの充足感の暗喩である。レコアはまだ生きており、自分のいる場所で花を咲かす事が出来ず去ってしまった事を察していたのだろう。

「新しい時代をつくるのは老人ではない!」
↑クワトロ(シャア)はカミーユと共に世界を救う事を望んでいた。だから捨て石になろうとするカミーユを自らを老人と称してまで生かそうとしたのだ。必死さが垣間見えて好きな台詞。
これが後にカミーユに悲劇が起きた際、シャアが間違った方向に行くきっかけになったのだと考えると…

「まだだ!まだ終わらんよ!」
↑汎用性の高い追い詰められた際の台詞。わかりやすさもあって人気を誇る台詞だが、劇場版では少し変わってしまった。

「私はおまえと違って、パイロットだけをやっているわけにはいかん!」
↑連邦高官との裏取引のためにロンデニオンに訪れたシャア。そこでアムロと遭遇した際、なぜいるのかと見咎められた時の返答。
これはおそらく、ネオ・ジオン総帥である自分を道化と卑下しているシャアから見れば一介のパイロットとして変わらず前進しているアムロに対しての複雑な感情がこもっているのではないかと思う。

「ならば今すぐ愚民ども全てに叡智を授けてみせろ!」
↑アムロとの肉弾戦の時、「人間の知恵はそんなものだって乗り越えられる」と言われた際の反論。今の日本にも言いたくなるような台詞。

「私は父ジオンのもとに召されるであろう!」
↑演説の締めの台詞。まさか彼は自害でもするつもりだったのか。それとも父ジオンが予言したニュータイプとして頂点に君臨するという意味だったのか。
どちらともとれる台詞である。

「アクシズ、行け!忌まわしい記憶と共に!」
↑アクシズを地球に向けて発進させた際の台詞。私も断捨離の時にゴミ袋を収集所に置く際に言いました。

「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって、地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて、自然に対し、地球に対して、贖罪しなければならん…。アムロ、なんでこれがわからん…!」
↑シャアの表情、池田秀一氏のそれまでのシャアにはなかった涙声の演技から何とも言えない気持ちになる名言。
地球環境を破壊しながらも結果的に地球も宇宙も支配している形の連邦に対して本当に我慢出来なかったんだろうな。

「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ! そのララァを殺したお前に言えた事か!」
↑『逆襲のシャア』のラストシーンでアムロに言った台詞。長い付き合いになったアムロだが、やはりアムロがララァを殺害した恨みは深かったのだ。戦場に連れ出したシャアにも責任はあるが。
まさか主人公2人(味方だった時期もある)の末路が相互否定で締めくくりというのは誰も予想しなかったのではなかろうか。また、シャアの最後の言葉が甘ったれた恨み言であった(しかもなかなか意味が分かりにくい)という件については声優の池田秀一氏も当時複雑な心境であったという。
後に池田秀一氏は「こういった弱い部分もシャアの一面である」とし、好意的に受け止めている。

見える…!私にも他の記事が見えるぞ!!